Month: 7月 2010

ただ引退するのではなく

1年で聖書を!
◆ 詩篇31-32
◆ 使徒23:16-35
聖書のみことば 民数記8:23-26

 
その人はただ、……自分の同族の者が任務を果たすのを助けることはできるが、
―民数記8:26

世界最高峰のエベレスト山に初登頂したのはエドモンド・ヒラリーとテンジン・ノルゲイのふたりで、それは1953年のことでした。ヒラリーは33歳でこのような偉業をなし、富と名声、そして、偉大な人生を歩んだ充足感を得ました。ヒラリーはその後の55年間、何をしたのでしょう。成功に安んじて、楽隠居をしたでしょうか。いいえ、まったく違います。

橋渡し

1年で聖書を!
◆ 詩篇29-30
◆ 使徒23:1-15
聖書のみことば ヨハネ1:10-18

 
ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。―ヨハネ1:14

子どもたちが幼かった頃は、大きくなったら、自分たちの父親は相当のことを成し遂げたと感心してくれるだろうと考えていました。私が本を書いたり、著名な場所で講演をしたりすることに対してです。ところが実際、彼らは私の本を読んだこともなければ、どこで講演をしたのか、まったく興味がありません。ついに長男が、私の本を一冊読んだのですが、その理由といえば「子どもたちは僕の本を読んだことがない」と父親が言うのを止めさせるためだと言うのです。

恵みとあわれみと平安

1年で聖書を!
◆ 詩篇26-28
◆ 使徒22
聖書のみことば Ⅱテモテ1:1-10

 
主をほめたたえよ。……(主は)あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、―詩篇103:1,4

恵みと平安ということばが、新約聖書のパウロのどの書簡にも、諸教会への挨拶のことばとして記されています。そしてテモテへの手紙には、「父なる神および私たちの主キリスト・イエスから、恵みとあわれみと平安がありますように」(Ⅱテモ1:2)と、あわれみということばが加わっています。これらのことばをひとつひとつ、吟味してみましょう。

希望

1年で聖書を!
◆ 詩篇23-25
◆ 使徒21:18-40

 
神なる主よ。あなたは、私の若いころからの私の望み、私の信頼の的です。―詩篇71:5

エルサレムからエリコへつづく古代の道は、ユダの荒野の狭くて危険な深い峡谷沿いに通っていました。その地の名前はワディ・ケルトですが、詩篇23篇が霊感によって生まれた場所なので、「陰の谷」として知られています。しかしそこは、ダビデの希望の詩とは縁もゆかりもないような有り様です。荒れた不毛の地で、危険な絶壁がそびえています。強盗には好都合でしょうが、普通の人にとっては実に嫌な所です。

別れの挨拶

1年で聖書を!
◆ 詩篇20-22
◆ 使徒21:1-17
聖書のみことば Ⅱテモテ4:6-22

 
私は今や注ぎの供え物となります。私が世を去る時はすでに来ました。―Ⅱテモテ4:6

カーネギー・メロン大学のランディ・パウシュ教授は、47歳で末期ガンを宣告されたのち、大学で最後の講演をしました。彼はコンピューター・サイエンスの教授で、聴講者は学生や同僚、そして友人たち150人ぐらいだろうかと考えていましたが、400席の大講義室はいっぱいでした。彼が心から語った一時間ほどの講義は、洞察とユーモアに満ちた感動的なものでした。彼の告別の挨拶は、死ぬことではなく生きることに焦点を当てたものでした。

アレルギー

1年で聖書を!
◆ 詩篇18-19
◆ 使徒20:17-38
聖書のみことば テトス3:3-11

 
悪はどんな悪でも避けなさい。―Ⅰテサロニケ5:22

私たちの孫には、食物アレルギーがあります。彼女は、牛乳、チーズ、卵、アイスクリームなどの食品を避けねばなりません。ほんの少し食べただけでも健康に害を及ぼします。
 

しかし、自分の内に入れてはいけない物を持っているのは彼女だけではありません。彼女のアレルギーは肉体に関することですが、クリスチャンならば霊的健康を損ねないために避けるべきことがあります。聖書は、私たちの霊性が何に対して「アレルギー」を持つのか、明確に示してくれています。

さばいてはいけません

1年で聖書を!
◆ 詩篇16-17
◆ 使徒20:1-16
聖書のみことば Ⅰコリント4:1-5

 
さばいてはいけません。さばかれないためです。―マタイ7:1

イエスの「さばいてはいけません」(マタ7:1)という命令は、分別を働かせたり、間違いを認識したりするのは良くないという意味ではありません。私たちは、間違いや不正行為がたびたび起こる世界に暮らしているので、ものごとは当然、批判や分析を交えて考えていかなければなりません。イエスが言われたのは、決めつけたり、切って捨てたりすべきでないということなのです。パウロはこの教えを「あなたがたは、主が来られるまでは、何についても、先走ったさばきをしてはいけません。主は、やみの中に隠れた事も明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます」(Ⅰコリ4:5)と、説得力ある言葉で言い表しています。

私くらいの年の人

1年で聖書を!
◆ 詩篇13-15
◆ 使徒19:21-41

 
年老いて、しらがになっていても、神よ、私を捨てないでください。私はなおも、あなたの力を次の世代に、……告げ知らせます。―詩篇71:18

飛行機に乗ったとき、少し仕事をしようと、座席前のトレイにノートパソコンを広げ、バックアップ用ハードドライブやiPodなど、21世紀の「仕事師」にふさわしい電子機器を並べました。しばらくすると、隣の座席の若者が、ちょっと話してもいいかと聞いてきました。彼によると、私くらいの年の人が、現代の先端技術を喜々として受け入れているのは大変刺激になるというのです。彼は私を褒めようとしたのですが、私は突然、120歳になったように感じました。「私くらいの年の人」とは、どういう意味でしょう。結局のところ、私は57歳の「若輩者」にすぎないのです。

うまい話

1年で聖書を!
◆ 詩篇10-12
◆ 使徒19:1-20
聖書のみことば ルカ15:11-24

 
もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください。―ルカ15:19

あなたが私と同じなら、うまい話が好きでしょう。バーゲンセールだけではありません。自分にはほとんど持ち出しがないという取引です。そのうま味を知っている人なら、放蕩息子が家に帰ろうと決意したときに何を思っていたか、想像がつくのではないでしょうか。